偶然の出会いから始まった
“世界”を目指すストーリー
パティやバンズ、チーズや野菜などの具材にこだわった、ちょっと高級でボリューミーな“グルメバーガー”を、一度は食べたことがある人も多いはず。立ち上げからわずか5年で、世界で最も有名なフードコンテストで6位を獲得した富山発の〈ショーグンバーガー〉もそのひとつです。
和牛バーガーで有名な〈ショーグンバーガー〉のハンバーガーは、ミンチ肉を熱々の鉄板に置き、その上からスマッシャーと呼ばれるミートプレスで押し焼く“スマッシュバーガー”という製法でつくられています。塩や胡椒、玉ねぎなどは入れず、赤身と脂身だけをブレンドしたナチュラルな味が特徴です。
仕掛けたのは、富山で37年の歴史を持つ老舗焼肉店〈焼き肉ハウス大将軍〉の2代目として代表を務める本田大輝さん。新宿の人気店〈TEJI TOKYO〉などで修行を重ね、28歳で会社を受け継ぎました。
「焼肉店で和牛を一頭買いしていた端切れの部分を生かせないか、そして富山から全国、世界へ進出するきっかけとなる事業を展開できないかと、ずっと考えていました。ただ本音を言うと、当時は焼肉店3店舗の運営がカツカツで、一発逆転を狙えるチャンスを探っていたんです」と、本田さんは当時を振り返ります。
そんなときに出会ったのが、現在〈ショーグンバーガー〉でメインシェフを務める扇谷厚子さん。大手航空会社で客室乗務員を務めていた経歴を持ち、当時はプロデューサーとして引っ張りだこだった扇谷さんと、知人を介して偶然富山で出会い、すぐに意気投合。
「今はピンクだけど当時は金髪で、すごく目立つ女性がいるなと(笑)。話してみると、次々と人気店舗をプロデュースする飲食業界の先輩のお店の内装を手掛けるなど、経歴もおもしろくて、情熱もある。この人となら成長できると直感しました」(本田さん)
扇谷さんは、CA時代に世界中のレストランを食べ歩き、新しいお店がオープンする際にはレセプションにも積極的に顔を出していたといいます。その食に対する知識とアイデア、人気シェフや“フーディー”と呼ばれる美食家たちとのコネクションを見込んだ本田さんは、扇谷さんに、「外部広報というかたちでショーグンバーガーを手伝ってくれないか」と打診。ただ、扇谷さんから返ってきた答えは予想外のものでした。
「やるからには中に入ってしっかりとやりたい、勝負したいと答えました。つくることに関しては素人だったけれど、覚悟を決めて、本田さんと一緒に試行錯誤しながらスタートしました」(扇谷さん)
“フーディー”たちに認められ
苦難のスタートから1年で超繁盛店に
〈ショーグンバーガー〉初となるショップは、富山市の“まちなか”総曲輪にオープン。地元では誰もが知る老舗焼肉店がつくる本格和牛のハンバーガーは、瞬く間に話題となりました。翌年には、東京進出。都内1号店に選んだ地は、新宿歌舞伎町でした。
「夕方にだんだんネオンがつき始めて、たくさんの人が行き交う光景がNYのタイムズスクエアみたいでいいなと思っていて。原宿や渋谷を推す声が多かったけど、反対を押し切って歌舞伎町に出すことを決めました」(扇谷さん)
オープン当初は、大手ハンバーガーチェーン店が立ち並ぶ歌舞伎町で、一品1500円を超える高価な“グルメバーガー”は、なかなか受け入れられなかったといいます。
「最初は怪しいお店だと勘違いされたのか(笑)、まったくお客さんが来ない状況が続いて、朝から夜中の3時まで毎日ひたすらチラシを配っていました。キャッチの人たちに特別割引券を渡して仲良くなるとか、できることは何でもしました」(本田さん)
地元で働く人たちが徐々に足を運んでくれるようになり、扇谷さんの美食家仲間たちも次々とSNSで紹介してくれた甲斐があって、1年後には月の売上1000万円を超える超繁盛店に。コロナ禍の緊急事態宣言の時期にも〈ウーバーイーツ〉だけで売上を維持し、他社がこぞって業態を真似るほど話題となりました。
スマッシュバーガーは、焼き手の力加減が味を左右するため、それなりのトレーニングが必要。簡単に人に任せられないのです。
「最初の2年間は、お正月以外の360日、11時半から朝5時まで、ひたすらひとりで焼き続けました。けど、先に見えていることがあるとやり切らないと気が済まないタイプなので、つらいと思ったことはなかったです」(扇谷さん)
2店舗目でいきなり東京、しかも新宿・歌舞伎町を選んだという覚悟が表れています。見据える先は世界進出だったので、たとえ売れない日が続いても、簡単に諦めるという選択肢はなかったようです。
日本代表として参加した世界大会で
2年連続6位入賞
1号店のオープンから5年、各店舗も順調に軌道に乗り始めていた頃、大きな転機が訪れます。「JAPAN BURGER CHAMPIONSHIP 2022」に参加し、ここで見事優勝。“日本一おいしいハンバーガー”の称号を手にしたのです。
そして日本代表として、アメリカ・テキサス州で開催された「World Burger Championship 2022」への出場権を獲得。参加チーム30組のうち6位という好成績を残し、世界に“SHOGUN BURGER”の名を響かせました。翌年も参加し、2年連続で世界6位を獲得。
「単独店で勝負して結果を残せたことには、すごく価値があると思います。しかしほかの国は、ミシュランを獲得した有名シェフなどで組まれた選抜チームでした」(扇谷さん)
3度目の挑戦となる今年は、単独店ではなく「本気で世界一を目指す」チームを組んで、インディアナポリスで開催される大会に参加することを決めています。
「日本のシェフは技術は高いのに、世界においてそこまで地位が高いとはいえません。海外にはスターシェフのような人たちがたくさんいます。世界大会でいい成績を残すことで、日本のシェフの価値を向上したいという思いもあります」(扇谷さん)
「やるからには何でも1位を目指したいという性格です」と笑う扇谷さん。今年は選抜チームを組むことで、日本の外食産業の底上げまで考えながら、世界一への道を拓いてくれそうです。
大会での活躍が功を奏し、それまで3人で運営していた〈ショーグンバーガー〉は、店舗も人員も急拡大。「ショーグンバーガーで働きたい」という人は後を絶たず、月に平均80人の応募があるそう。スタッフと共有しているのが、会社のスローガンである、“出る杭であろう”というフレーズです。
「日本では目立つと叩かれる風習があるけど、それが嫌いで。僕たち中小企業が大手を出し抜くには、自分たちなりのやり方で、最大の利益をどう生み出せるか。そのためには周りの声やこれまでの常識は気にせずに、自分たちの武器を最大限に生かすべきだと思っています。『番狂わせを起こす』という言葉を社内でもよく話していますが、若いZ世代のスタッフたちにも刺さるようで(笑)、向上心を持ってみんな前向きに取り組んでくれています」(本田さん)
世界に目を向けながら
地元に愛されるお店づくりを
7月には恩納村(沖縄)、8月にはすすきの(北海道)に新店舗をオープン予定。海外では、上海への出店が決まっています。
「近いうちに宮古島、札幌、京都などを含めて、日本各地の観光地に30店舗の出店を目指しています。これからの時代、可能性を秘めているのはやはりインバウンド。海外からの観光客に来てもらって、自国の人たちに口コミやSNSで情報を広めてもらう。その効果は絶大です」
こうして拡大を続けるなかでも、本田さんが大切にしているのは、飲食店としての基本でした。
「大前提として、“地元の人たちから愛されるお店”じゃなければ生き残れないと身をもって感じているので、そこだけは徹底して意識しています」
スタッフとお客さんの短い会話からでも、「人を大切にする」という本田さんの姿勢が、しっかりと伝わっていることがわかります。近所の人が散歩がてらに、気軽に立ち寄れるアットホームな雰囲気は、〈ショーグンバーガー〉の大きな魅力。ときには富山出身者が新宿店を訪れ、「ここは富山のお店なんだよ」と仲間にうれしそうに語る姿も見られるのも、地元に愛されている証といえるでしょう。
メインシェフの扇谷さんも、シェフではなく美食家だったことで、ユーザー目線の味になっていると話します。お客さんに愛される理由がそんなこところにもありました。
「アイデアは尽きないですね。私がもし料理を学んできていた人間なら、セオリー通りのお店になっていたと思うけど、そうじゃなかったから今があると思っています」
富山の人々にとっても“自慢のお店”となった〈ショーグンバーガー〉。運営会社の〈ガネーシャ〉は、ピザや食堂、焼き鳥、お寿司など、さまざまなプロデュースを通して地元富山を盛り上げています。本社も複合施設〈トトン〉の一角にあり、地元での活動に意欲的です。富山には、人を元気にする食がある。お腹を空かせて、ぶらりと気ままに富山旅もいいかもしれません。
credit text:辰巳健太 photo:竹田泰子