山のイラスト
木組みの高台に腰かける吉田朋美さんと、そばに立つ2頭のヤギ
gourmet

歌手であり、チーズ職人。
〈Y&Co.〉吉田朋美さんがつくる
黒部のヤギチーズ

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歌をうたい、チーズをつくる日々
“半農半芸”スタイルの10年間

「ヤギのミルクでチーズをつくりたいから、チーズ職人になってほしい」

父からのひと言がきっかけで人生が大きく変わったと話すのは、歌手活動のかたわらヤギチーズ専門店〈Y&Co.〉のチーズ職人として働く吉田朋美さん。黒部市内にある牧場の一角で、80頭のヤギを飼育しながらチーズをつくっています。

いわゆる“半農半芸”スタイルで活動している朋美さんは、取材当日も早朝から工房で作業し、午後はラジオ番組の仕事へ。そんな朋美さんがつくるチーズは、国内外のチーズコンクールで数々の賞を受賞。ミシュラン星付きレストランやリゾートホテルからの注文も多く、「黒部のヤギチーズ」として世界中から注目されています。

記念撮影のように真っ直ぐカメラの前に立つ吉田朋美さんと1頭のヤギ
歌手〈Tomomi〉として活動しながらヤギチーズ専門店〈Y&Co.〉の職人として働く、吉田朋美さん。湘南で生まれ育ち、2014年に富山県黒部市に移住。

そもそもなぜ、この地でヤギのチーズをつくることになったのでしょうか。そこには祖父の思いを受け継いだ、父の夢がありました。

「ある日突然、父からヤギのチーズをつくりたいっていわれたときは、この人とは目を合わせちゃダメだと思いました(笑)。急に何をいい出すんだろうっていう感じで、そのときはまったくピンと来ていなかったですね。ただ、よくよく話を聞いてみると、そこに至るまでの経緯や思いがあったんです」

〈Y&Co.〉の牧草地が広がる
富山県黒部市、小高い丘の上にチーズ工房がある。

朋美さんの祖父は、世界屈指のファスナーメーカー〈YKK〉グループの創業者、吉田忠雄さん。晩年、故郷である黒部で農業を始めたいと考え、良質なものを適正価格で販売することで、生産者にきちんと利益が行き渡るような事業のかたちを目指していました。そこで忠雄さんが叶えられなかった夢を受け継いだのは、息子であり朋美さんの父、YKK前会長の忠裕さん。

牧草を食べるヤギたち
1頭のヤギから1日あたりにとれるミルクの量は限りがあり、搾乳できる期間は1年のうちの約半年間のみ。

「祖父も父も、衣食住が豊かであれば、人は幸せに暮らせるんじゃないかという考えを持っていました。ちなみにYKKのファスナーは『衣』、〈YKKap〉の窓やサッシは『住』にまつわるもの。次は『食』だということで考えたのが、酪農でありチーズだったみたいです。そんな背景や家族の思いを知るうちに、私のなかでも考えが変わっていったのと、東京を離れても音楽の仕事はできると思って、半年ぐらいかけてやってみようという気持ちを固めていきました」

とはいうものの、朋美さんの人生にとって大きな転機でもあったはず。どのようにして、この道に進むことを決意したのでしょうか。

4タイプのヤギチーズ商品が並ぶ
商品にはすべて「KUROBE」の文字が。右から、セミハードタイプの「ラ・カプラ」1836円。フレッシュタイプの「リコッタ・ラ・カプラ」1836円。ソフトタイプの「カプリーノ・ラ・カプラ」1512円。ヤギミルクでつくるプレーンタイプのヨーグルト「ディ・カプラ」378円。

「私は小さい頃から音楽に親しんでいて、高校時代は英語の演劇部に入ってミュージカルに出たりもしていました。その後はアメリカの音楽大学に進学し、卒業後は歌手活動とアルバイトをかけ持ちしていたのですが、30代に入ってからは『このままでいいのか?』と、今後の人生を考える機会が多くなっていました。そんなときに父からチーズづくりの話があったので、自分のなかでもいろんなタイミングと重なり、心機一転したいという気持ちがあったのかもしれません」

全面ガラス張りで敷地内を見渡せるレセプション建物内
ヤギの畜舎に隣接したモダンな建物はレセプション。イタリアンモダンデザインの巨匠であるアンジェロ・マンジャロッティ氏による、日本で初めての建築でもあるそうだ。

ところが朋美さん自身、それまでヤギのチーズを食べたことが一度もありませんでした。そこで、まずは北海道あたりでチーズづくりの勉強と修行をしようと考えていたところ、父・忠裕さんからこんな発言が。

「世界中のどこへ修行に行ってもいいから、胸を張って出せるものをつくってほしい。日本はもちろん、世界で通用するヤギのチーズを目指したい」

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