自分の大切なものは手放さなくていい。
土地とつながりながら働くこと、暮らすこと
神奈川の湘南から富山の黒部市に移り住んでからは、人間本来の「原始的な強さ」のようなものが身についたと話す朋美さん。例えば富山の冬は、朝起きて雪かきをしなければ仕事にも行けず、1日が始まらない。自然が相手だとどうにもならないことがあるということを強く感じたそうです。
「こっちにきてすぐの頃は、仕事場に着いたらまず山を見て、海を見て、家に帰る前も同じように眺めながら、この風景に感動していましたね。今はもう、だいぶ慣れちゃいましたけど(笑)。それに田舎とはいえ、ほしいものは手に入るし会いたい人にも会える。生活するぶんには何の不自由も感じていません」
東京や神奈川時代に出会った人たちとの関係性も途切れることはなく、大切な人たちとはより太く深いつながりができたように感じているとのこと。
「音楽関係の仲間はツアーで各地を回っていたりするので、私が富山でチーズをつくっているのを思い出して立ち寄ってくれることもあるんです。各地のレストランの方々もそうですし、シェフの紹介で海外から訪ねてきてくださる方もいらっしゃいます。ここにいてもいろいろな人たちが会いにきてくれる。本当にありがたいことです」
チーズのつくり手である朋美さんにとって、すぐれた料理人が身近にいるというのも恵まれた環境。それが、富山の奥懐・利賀村のオーベルジュ〈L’évo(レヴォ)〉の谷口英司シェフの存在でした。
「谷口シェフが富山にいらしたことで、生産者の意識も大きく変わったと思います。生産者同士が会う機会って普段なかなかないんですけど、そういう場を設けてくださったりとか。横のつながりがあるっていうのは、私たちにとってすごく励みにもなるんです」
「ヤギのバターをつくれないか? という提案をいただいたこともあります。また『生後間もない子ヤギの肉は、日本中を探してもなかなか手に入らない。絶対にやるべきだと思う』とアドバイスをいただいて、オスのヤギをお肉として提供するようになったんです」
餌を食べる前のミルクしか飲んでいない状態の子ヤギの肉はピンク色で柔らかく、食べるとミルクの香りが広がるのだとか。ヤギは牛などに比べ体が小さいぶん、食べたものによっても肉の味が変化するのだそう。
“半農半芸”スタイルで、チーズ職人と歌手を両立してきた朋美さん。食と音楽という異なる分野で、それぞれの共通点はあるのでしょうか。
「自分がいいと思ったものをとことん突き詰めて、できあがったものをみなさんや世の中に提案する部分については同じです。いかにして情熱を注げるかということや、もっといいものをつくろうとする貪欲さやストイックさのようなものであったりとか。自分が信じる『これだ』と思うところに向かう姿勢っていうのは、変わらないんじゃないかなと思います」
チーズづくりが朋美さんの音楽に作用している部分は大きく、あるとき歌の師匠からかけられた言葉が今でも印象に残っているそう。
「『きれいごとじゃなくて、泥臭く生きるっていうことを学んでからのあなたの歌は、明らかに変わったと思う。富山で酪農とチーズづくりをしながら、汗をかいて必死に生きている人っていうのが出てきたね』と。チーズづくりがハードだと、疲れすぎて声が出ないこともあるんですけど」
そういって朋美さんは笑いますが、歌手活動に関しては、続けることが自身にとっての一番の意義であり目標だともいいます。
食べ物にしても音楽にしても、誰かの日常の豊かさに少しでもつながるものをつくりたい。黒部という土地で、職人と歌手というふたつの肩書きを持つ朋美さんが生み出す、ヤギのチーズと歌。それらはあらゆる人にとっての糧であり、心の栄養にもつながっていくはずです。
credit text:井上春香 photo:日野敦友