山のイラスト
光岡自動車の工場での下地処理の様子
craft

“日本一小さな”自動車メーカー〈ミツオカ〉
手仕事で大切に仕上げるカスタムカー

series|クラフトマンシップ・オブ・トヤマ

はじまりは馬小屋の一角。
「これなら自分たちで直せそうだ」

『エヴァンゲリオン』との“1台限定”コラボで話題となったスーパーカー「オロチ」や、ひとり乗りのゼロハンカー「BUBU 501」、クラシックな英国車風フォルムで30年以上のロングセラーとなっている「ビュート」などをリリースしている〈ミツオカ〉こと光岡自動車。

独創性あふれる発想力と奇抜なデザインで、世界中の自動車メーカーと比べても一際異彩を放っています。年産約1000台という日本一小さな規模ながら、“聖地巡礼”とばかりに富山市の生産工場を訪れる熱狂的なファンが後を絶ちません。

ビュートやヒミコなどの車両が並ぶ工場内
右は、ロングノーズのクラシカルな高級車「ヒミコ」。今年は限定10台で、即完売。

日野自動車で営業マンをしていた光岡進氏が、1968年に富山市内の馬小屋を間借りして板金塗装業を始めました。あるとき、イタリア製のひとり乗り自動車の修理依頼があり、分解してみたところ「これなら簡単につくることができそうだ」と、自動車づくりに興味を持ち「ミツオカオリジナルの車をつくろう」と一念発起。

トミカで再現された4台の光岡自動車の車
〈トミカ〉で再現された歴代の名車たち。

初の自社オリジナルカーとなった「BUBUシャトル50」は、なんとひとり乗りのマイクロカー。当時は原付免許で乗ることができたため、瞬く間に大ヒットしました。その後ロサンゼルスでは、既存のシャーシをベースに、自分でボディを組み立て色を塗る“キットカー”の文化を目の当たりに。1987年には、“ルパン三世の愛車”として知る人も多いメルセデス・ベンツのSSKのレプリカ「BUBU クラシックSSK」を、フォルクスワーゲンのビートルをベースに製作することに成功しました。

ミツオカの車づくりは、市販のベース車を生かして改造を施す “カスタムカー”という手法で、その1台1台が手作業。200台限定で製造されたこの車が、現在のミツオカの原点となったのです。

ショールームに展示されている〈ゼロワンタイプF〉
“自動車メーカー”として認可されるためにつくられた〈ゼロワンタイプF〉
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