
スモーキーな味わいにこだわった
缶ハイボールが一大ブームに
ウイスキーは時間とともに育つ酒です。蒸留された瞬間から、熟成を重ねることでその表情を変え、長い年月を経てようやく完成します。手をかけすぎてもいけません。自然の力を信じて、待つことが求められます。
〈三郎丸蒸留所〉は、そのウイスキーづくりの技術と情熱を詰め込んだ“缶ハイボール”でご存じの人も多いはず。「スモーキーな香り」を探求し、独自の製法と熟成技術により、突き抜けた個性をもちながらもバランスのとれた心地よいスモーキーさを実現しました。クラフトウイスキーとしての個性を大切にしながら、気軽に楽しめるスタイルで提供することで、新たなファンを生み出してきました。

「三郎丸」とは、蒸留所がある地域の名前。砺波市や富山県の名ではなく、より地域密着の「三郎丸」を冠して、富山の素材にこだわり、富山の職人技を活かしたウイスキーづくりからは、地域を大切にしていることが感じられます。土地の力を最大限に生かした、ここでしかできないクラフトウイスキーです。
IT業界から家業へ
三郎丸蒸留所の変革を決意
三郎丸蒸留所の母体である〈若鶴酒造〉は、日本酒の製造を生業とする蔵でした。創業は1862年。長い歴史を持ちますが、ウイスキーづくりを始めたのは戦後、1952年のこと。

2015年に若鶴酒造の5代目となった稲垣貴彦さんは、それまでは東京で外資系IT業界に身を置いていました。次第に「自らの手で形を生み出す仕事がしたい」という思いが強くなり、富山へ戻ります。
帰郷した稲垣さんを待っていたのは、「廃墟になる一歩手前」の蒸留所でした。長らく本格的な投資が行われず、老朽化が進み、設備は時代遅れ。
蒸留所の未来を模索するなかで、稲垣さんは倉庫の片隅に眠る1樽のウイスキーに出合います。それは1960年に蒸留された「若鶴モルト」でした。封を開け、一口飲んだ瞬間、稲垣さんのなかで何かが目覚めました。半世紀以上の熟成を経たそのウイスキーは、まろやかで奥深く、時を超えた存在感を持っていました。
「これが、曾祖父が残したものか」
それは、ただの酒ではなく、若鶴酒造の歴史そのもの。この原酒との出合いが、稲垣さんの決意をより確かなものにしたのです。