山のイラスト
たくさんの繭がのせられた籠
craft, well-being

可能性を秘めた蚕と、絹に魅せられて。
「城端しけ絹」を受け継ぐ機屋〈松井機業〉

series|とやまwellbeing place

2頭の蚕がもたらす「玉繭」から
生まれる「しけ絹」という奇跡

絹織物の産地として栄えた南砺市城端(じょうはな)。450年以上の歴史を有する善徳寺の寺内町(じないちょう)にある〈松井機業〉は、明治10年創業の老舗の機屋です。伝統ある「城端絹」や「しけ絹」と和紙を貼り合わせた「しけ絹紙」を一貫して生産・販売しています。

歴史を感じさせる松井機業の外観
明治10年創業、南砺市・城端(じょうはな)で「しけ絹」の製造販売を行う〈松井機業〉。

なかでも、光をやわらかく反射し、調湿性に優れた壁紙は、南砺市の伝統芸能会館〈じょうはな座〉やアンテナショップ〈日本橋とやま館〉といったように、全国のあらゆる施設で採用されています。

松井機業6代目代表の松井紀子さん
6代目代表の松井紀子さん。蚕と絹織物の世界に魅せられ、2010年にUターンし継業。

「しけ絹」は、今となっては国内で2社しかつくることができない、ひじょうに希少性の高いもの。一般的に、蚕は1頭でひとつの繭をつくりますが、ごくまれに2頭の蚕がひとつの繭をつくることがあります。そんな全体のわずか3%ほどの希少な繭を「玉繭」といい、そこから紡がれる糸が「玉糸」となり、さらにその糸で織り上げたものが「しけ絹」になります。

「玉糸は太さが不均一なので、ところどころに節が生まれて独特の風合いになるんです。原料の玉繭は、規格外の野菜みたいなもの。糸が節だらけだと上質な着物をつくれないから、昔は好んで使う人が少なかったみたいです」

生糸を枠に繰っていく糸繰りの様子
繭から解した糸を合わせて生糸が完成したら、糸繰り(いとくり)を行う。

工場内を案内してもらいながら絹について教えてくれたのは、松井機業6代目代表の松井紀子(まつい・のりこ)さん。城端で生まれ育ち、高校卒業後は東京の大学へ進学し、証券会社に勤めたのち2010年にUターンしました。3姉妹の末っ子ということもあり、当時家業を継ぐつもりはまったくなかったという紀子さん。それがあるとき、父・文一(ふみかず)さんと訪問した得意先での出来事が、運命を変えることになります。

糸繰りの工程をチェックする松井さん
糸は切れやすいため、人の手も必要。糸繰りを終えた生糸は、タテ糸とヨコ糸に分けられ、整経(せいけい)へ。

「父に『おもしろい話が聞けるかもしれんから、紀子も行かんけ?』って誘われて、軽い気持ちで商談に同行したんです。すると、その会社の社長さんと父の“お蚕談義”がものすごくおもしろくって。蚕は5000年以上も人間に寄り添ってきた生き物だから、1匹、2匹じゃなくて、1頭、2頭って数えるんだとか、絹には保湿だけじゃなくて調湿・消臭機能があるとか。それから、人の肌に近いタンパク質でできているから、手術糸にも使われていたり、紫外線をカットする効果もあったりとか……。そういう話に、めっちゃすごいやん! ほんまに!? と、いちいち反応しながら聞いていました(笑)」

管巻きの工程
ヨコ糸をシャトルに入れるための、管巻き(くだまき)という作業。

ものづくりの現場は身近だったものの、幼い頃は興味を持つことができなかったという紀子さん。それまで家業に抱いてきたイメージが、がらりと変わった瞬間でもありました。蚕と絹織物の魅力と可能性に魅せられた紀子さんは、今この仕事をやらなければ後悔するだろうと考え、富山に戻って家業を継ぐことを決意します。

この記事をポスト&シェアする