かつての「お蚕さん」文化を
今に紡ぎ、復活させたい
「敷地内にある畑では、お蚕さんが食べる桑のほかに藍も育てています。いずれは織物の染料や薬品などを、なるべく天然由来のものにしたいと思っています。そのほかにも、ここでは野菜も育てていますし、いろんな生き物たちがいるので、子どもたちにとっての遊び場であり、自然を学べる場になればいいなあと考えています」
畑は、パーマカルチャーへの知識が深く、堆肥会社に勤めた経験のある紀子さんの夫・渉さんが担当。ふたりの出会いは桑を育てるための畑の土づくりがきっかけでした。
「南砺市には昔から、多くの伝統産業がありました。福光には麻織物、福野には綿織物がありました。そのなかで唯一、かろうじて残っているのが城端の絹織物。南砺市の田中幹夫市長はこうした伝統産業を復活させるために『南砺市エコビレッジ構想』というプロジェクトを推進されていて、私が6代目の見習いをしているころから応援してくれました」
松井機業では、糸は基本的にタイやブラジルから輸入していますが、かつては五箇山の生糸をタテ糸に、福光町(現・南砺市福光)の生糸をヨコ糸に使用していました。いずれは南砺市に養蚕文化を復活させたいとの思いから、2016年からは工場の一角に養蚕室をつくり、卵を孵化させるところから育てています。
「ブラジルの工場を視察したときに、高齢化が進んでいるという話を聞きました。お蚕さんを育ててくれる人がいなくなったら、私たちは何もできなくなってしまいます。だから今のうちに蚕を育てるところからやってみたいと思ったのがきっかけです。それに私たちの目標は、南砺市産の絹をつくること。地産地消じゃないけれど、食べものと一緒で身に着けるものにも同じことがいえると思っています」
「私自身、お蚕さんを飼うようになってから、あらゆる価値観が変わりました。前職は金融業で、お金がないと生きていけない、お金が第一だと思い続けて都会でずっと暮らしてきました。それが富山に戻ってきたら、水と土がないと何もできないことを思い知ったんです。それにお蚕さんの餌である桑の木に農薬を使ったら、お蚕さんは死んでしまいます。農薬に向き不向きがあることもわかりました」
絹織物がもっと普及して、みんなが蚕や桑の木への意識を持ち始めたら、自然や環境に対する考えとか、社会全体のいろんな意識も変わっていく、そんな作用もありそうです。また、紀子さんいわく、養蚕や蚕という存在は、サーキュラーエコノミーのお手本でもあるといいます。
「繭は絹織物になるし、蛹は魚の餌になるし、糞でさえも蚕紗(さんしゃ)といって、人間の薬になったりする。なにひとつ無駄がないんです。製造工程でも化学的なものを使わないようにできれば、堆肥として畑に戻すこともできるようになりますし、水も下水でなくそのまま川に流せるようにできたらいいですよね。まだまだできることはあるし、やりたいことだらけなんです」
これからは、絹の機能性を広く伝えたり、絹織物の世界観をまるごと表現したりできるような拠点をつくってみたいとも話す紀子さん。しけ絹の壁紙の空間で過ごしながら、絹のベッドリネンやルームウエアに身を包み、心身ともにすこやかになれるような体験を提供したいのだそうです。
「私たちは、機屋としての歴史と伝統を守りながらものづくりを続けていく一方で、これからの時代は物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさへの価値を見出すことの必要性も強く感じています。
城端に唯一残る機屋として今も続けさせてもらえていることに感謝しながら、多くの人たちにお蚕さんと絹織物を知っていただけるような機会をつくっていけたらと思っています」
credit text:井上春香 photo:利波由紀子