歴史ある寺院、クラフトな食、豊かな自然。
「井波」を在原みゆ紀がぶらり散歩 | Page 2
feature|PRIVATE DOORS「在原みゆ紀が旅する南砺。民藝・クラフトトリップ」
井波彫刻の発祥となった寺院
〈井波別院 瑞泉寺〉を訪ねて
彫刻師によって再建され続けてきた瑞泉寺。その表参道である八日町通りも、井波のまちのシンボルです。在原さんもぶらり散歩してみます。
八日町通り(別名:瑞泉寺前通り)を歩いていると、彫刻店と併設された工房から木槌の音が聞こえてきます。道の両側には、彫刻店や郷土玩具店、さらには酒造などが軒を連ね、それぞれの軒先には木彫の表札が掲げられており、さすが日本遺産にも認定された木彫刻のまちといったところ。
歩いていると、ふと足を止める在原さん。「ん? これは猫のおしり? 」柱の先にはとぼけた表情で魚をくわえた猫がいました。遊び心あふれる木彫りがまちのあちこちに。実はこの通り、表情豊かな猫たちの木彫りが30点近く隠れているのです。在原さんも、ついつい屋根の上や足元など見回して、小さな猫たちを写真に収めたくなってしまうようです。
そもそも、なぜ井波は木彫りのまちとして発展したのでしょうか。そのルーツを辿るべく、八日町通りを一番奥まで歩いて〈井波別院 瑞泉寺〉を訪れた在原さん。旅行先では必ず神社やお寺にも立ち寄るといいます。
「地域の人たちに親しまれている場所には、ちゃんとお参りしておかないとっていうのもありますし、神社やお寺に行くことで、その土地にまつわる歴史や文化にふれられるので」
瑞泉寺は、今から634年前に建立されました。しかしながら、天正9年、宝暦12年、明治12年の3度にわたって大きな火災に遭い、建物が焼失。2度目の火災である宝暦12年の焼失後、瑞泉寺再建のために京都の本願寺から派遣された大工や彫刻師に井波の大工たちが弟子入りしたことから、井波彫刻の歴史が始まったといわれています。
井波彫刻とは、200本以上の鑿(のみ)を使い、1本の木から彫り出す井波彫刻の伝統技術。「透かし彫り」という技法によって施された細工は精緻で美しく、圧倒的な迫力があります。太子堂の彫刻は、瑞泉寺の中でもいっそう目を引きます。
境内を歩いていると、輪番の常本哲生さんとバッタリ。瑞泉寺の歴史や、井波彫刻が生まれたきっかけなどを教えてくれました。
「あるとき子どもたちが、ひげが生えている龍と生えていない龍がいる、っていうんです。男の龍と女の龍か? と宮大工に聞いてみるも、いや違うと。要するに、完成したらそこで終わってしまうから、髭がないのはあえて未完成なのだと。後世の彫刻師たちが施しをしてくれることが彫刻の味わいであり、遊び心とはそういうところから生まれる。そうやって、井波彫刻の文化は現代まで続いてきたんです」
「井波彫刻というのは、このお寺があってこそ生まれた文化なんですね」と在原さんも感心します。
技に磨きをかけながら後世に伝えていくと同時に、先人たちの思いまで受け継いできた井波彫刻という文化。数百年前の時代を生きた人々からのギフトであり、メッセージを在原さんも受け取ったようです。
Web:井波別院 瑞泉寺