ひとりでも不思議と孤独ではない
銭湯と映画館にみる共通点
上手くいかないことがあったり、ふと寂しさを感じたりすると銭湯へ行きたくなるという平井さん。静かに湯に浸かりながら、あちこちから雑談が聞こえてきたり、無心で体を洗ったりしていると、ひとりでいてもそこに孤独感はなく、どこか温かい気持ちにもなるのだそう。
「僕にとって、銭湯に行くのは映画館に行くのと近い部分があります。家で映画を観るのと、映画館に行って観るのってまったく違う体験じゃないですか。知らない人たちと一緒に同じ空間で同じ作品を観て、映画館を後にする。
銭湯も同じで、お風呂に入ることは家でもできるけど、わざわざ他人同士でしかも裸になってお湯に浸かって、同じ時間を共有する。これってなんか似ているなあと。どっちがいいとか悪いとかの話じゃなくて、利便性だけではない良さがあるということですよね」
映画とは、行為ではなく体験。作品を通じて、観た人たちそれぞれの人生と重ねながら感じたり考えたりすることで、自らの体験としてもらえたらうれしいとも語ります。
幼い頃から映画を観るのが好きだったものの、学校という場所に興味が持てず、苦悩の10代を過ごした平井さん。いつしか映画を表現手段のひとつと捉えるようになり、富山県の高校卒業後は東京の映像専門学校へ進学。その後は23歳でフランスへ渡り、パリにある専門学校で映画への学びを深めます。
「映画にふれるきっかけは、アクション映画好きの父親の影響もあったと思います。ただ僕が映画の道に進むこと自体は大反対で、一時期ずっと故郷に帰っていなかったんです。
そんな父との関係性や故郷をテーマにしたのが前作『フレネルの光』です。父をはじめ、母、弟、父方の祖母、友だちにも出演してもらいました。なんていうか、この映画を撮ったことで初めてちゃんと家族になれたような感覚があります。実際に撮影現場を見た父は『こんなに一生懸命やっていたんだな』ともいってくれて。いろんな賞をもらって各地で上映していることを一番喜んでくれているのは、僕以上に父親かもしれません」
現在は国内で新たにドキュメンタリーを製作中とのこと。初めてのことばかりで試行錯誤しながら奮闘しているといいます。次回作の構想もあり、富山県を舞台にしながらも、これまでとは違ったテーマや切り口での作品にも積極的に挑戦していきたいと話します。
「なんていいながら、また同じような場所を撮りたくなってしまうかもしれません(笑)。というのも、生まれ育った場所や日本から長く離れていると、当たり前だった日常が特別に思えてくるんですよね。
そういった場所はきっと銭湯以外にもあって、自分の場合は故郷に帰ってくることで実感するんです。家族や身近な人がそばにいるということや、家があって生活できる場所があるということもそうですけど、当たり前のように暮らせている日常っていうのが実は一番贅沢なことなんだということを、僕自身がこの映画を撮ってあらためて実感しています」