日本に移住し「つくりたい」と「使いたい」が交差する
ガラス器を制作するように
富山駅から南西に車で約30分のとある農村部。ガラスアーティスト兼職人のピーター・アイビーさんは、築60年の古民家を5年以上かけて自ら改装し、家族とともに暮らしています。
アメリカのテキサス州オースティンで育ったピーターさんは、Rhode Island School of Designにて美術学士号を取得し、母校およびMassachusetts College of Artで教員を務めていました。その後、2002年に来日。5年間、愛知教育大学ガラス学科の教授として勤めたあと、当時の妻の転職に伴い退職し、2007年に帯同した先が富山でした。
「富山はガラスに関係している人なら誰でも知っている有名な場所で、私もアメリカに住んでいた頃から知っていました。だから富山への移住は、いい機会だと思ったんです」
富山で生活し始めるようになり、空いた時間で「自分が使いたいと思うガラス器」をつくり始めたピーターさん。華美な装飾はなく、生活に馴染むシンプルなフォルムでありながら、使いやすく、目に留まる凛とした美しさがあります。そんなピーターさんのいまにつながる作風は、日本へ移住し、その「暮らし」を経験したからこそ生まれたものです。
「アメリカではガラスは芸術作品であり、鑑賞物。私もアメリカにいた頃は色を使ったガラス製品をつくっていました。しかし、日本でガラスは道具として人が使うものですよね。器と食べもの、使う人、その3つが揃って初めて完成する。例えばジャーはそのままの状態より、ピーナッツやコーヒー豆を入れた方がおもしろい。『つくりたい』と『使いたい』のギャップを縮めていきたいと考えるようになったのは、日本で暮らすようになってからですね」
商品づくりではなく、生活用品をつくるために制作を始めたピーターさんのガラス器は、使うことで真価が発揮されます。例えば一見ミニマルなグラスも、底を尖ったツノ状のデザインにすることで使い手の意識に変容をもたらします。
「日本で生活するようになり『水を飲むなら、飲むことに集中できるシンプルなグラスを選びたい』と思うようになって。飲むときにツノが見えることで、スッと意識がそこに吸い込まれ、自分のスケールが変化するようなグラスをつくるようになりました」
使うことを意識したピーターさんのガラス器づくりは「スタッキングができる」「蓋があり保存ができる」など実用性に富んだ日本製品の影響も受けています。しかもそれは単なる製品としての「使い勝手」だけでなく、例えば「蓋がカチッと締まる体験としての心地良さ」という感触まで追求しているのです。