山のイラスト
〈大野屋〉の大野悠さん
gourmet, lifestyle

型にはまらず、しなやかに。伝統を今につなげる
老舗和菓子屋〈大野屋〉大野悠さんの挑戦

series|とやまの居心地達人

故郷を離れたことで視点が変わり、
伝統の価値を知る

高岡市の中心部にある土蔵造りのまち並み、通称「山町筋(やまちょうすじ)」の一角にある〈大野屋〉。その歴史は天保9年(1838年)にまで遡り、醸造業から菓子屋に転じたのが始まりです。

〈大野屋〉の外観
高岡市木舟町の通称「山町筋」の一角に店舗を構える大野屋は創業180年以上の老舗。

老舗和菓子屋の長女として生まれた大野悠(おおの・ゆう)さんは、若い頃は和菓子よりも、古着や洋服に興味があったことから、高校卒業後は金沢美術工芸大学に進学し、大学院を含め6年間、染色や織物を学びました。その後、東京が拠点のアパレルブランド〈ヨーガンレール〉に就職し、テキスタイルの素材開発に携わります。

「素材そのものをデザインし、糸1本からどのようにして生地をつくるかといった企画をしていました。当時はヨーガン・レールさんがテキスタイルデザイナーだったのですが、美意識の高さや環境への配慮といった考え方などは影響を受けましたし、いろいろと学ばせていただきましたね」

皿にのった看板商品〈とこなつ〉
大野屋の看板商品〈とこなつ〉(6個入り648円〜)。万葉集の編纂に関わった歌人・大伴家持が立山に降り積もる雪を見て詠んだ歌にちなんでつくられた。

そこで4年ほど働いていましたが、あるとき大学時代の恩師から声がかかり、母校の大学院でテキスタイルデザインの講師を務めることに。

「実家の両親が気がかりであったのと、アパレル業界での仕事を続けるかを迷っていたタイミングでもあったので、母校の金沢美大で講師をしながら家業も手伝うようになりました」

高岡市には結婚を機に10年ほど前にUターン。大野屋では主に、商品企画やさまざまなデザインを担当しています。

〈とこなつ〉の表面に和三盆をまぶす作業
白小豆を炊いた餡を求肥で包み、表面に和三盆をまぶしていく〈とこなつ〉。菓子の名は「かわらなでしこ」という小さく可憐な花の古い名前にも由来する。

故郷を離れ、大学での学びや東京での仕事を経て、再び向き合うことになった家業である和菓子づくり。新しいものを求めていた10代の頃の考え方とは大きく変わっていました。

「ヨーガンレールで働いていたときに、小さい工場さんやすぐれた技術を持っている方々と一緒にお仕事させていただく機会があり、伝統技術によって、今の時代にも評価されるものがつくられている現場を目の当たりにしました。そのとき初めて、単に古いと思っていたものがいかに貴重なものかを感じることができたんです。お金では買えない歴史や文化が残っているのって、すごく貴重なことですよね」

〈とこなつ〉をつくる和菓子職人
小ぶりな大きさで食べやすく、上品な甘さが人気の〈とこなつ〉は、明治期より変わらない製法でつくり続けている大野屋の看板商品。

そんな悠さんにとって大きなチャレンジとなったのが、今や県内外から注目を集め、高岡土産の新定番にもなりつつある〈高岡ラムネ〉の開発です。しかしながら老舗和菓子屋としての葛藤もあり、9代目である父や職人さんからは、「どうして和菓子屋が駄菓子をつくらなきゃいけないんだ」と反対の声が上がっていたそうです。それでも実現したいという強い思いは、どんなものがあったのでしょうか。

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