広い世界へ飛び出し、
富山県のブランディングを手がけるまでに。
クリエイティブ・ディレクター高木新平さん | Page 3
series|I’m Your Home. ~挑戦する君へ、先輩たちの言葉~
富山出身を誇りに。
もっと地元をおもしろくしたい
迷いながらも、自分の価値観を信じ、チャンスを切り拓いてきたという高木さん。卒業後に入社した博報堂を1年で辞め、ネット選挙運動の解禁を目指した「One Voice Campaign」をプロデュースしたり、全国各地にシェアハウスを展開しブームを牽引。
2014年には「誰もがビジョンを実践できる世界をつくる」を掲げ、〈NEWPEACE Inc.〉を創業。未来の価値観や市場をつくる「ビジョニング」を提唱し、従来にないブランド戦略を立案、実装し、さまざまな企業や地域のブランディングに携わっている。
そんななか、再び転機が訪れたのはコロナ禍のことだった。コロナの最前線で闘う富山の医療従事者への「コロナ寄付基金」を発起。高校の先輩とクラウドファンディングを立ち上げ、総額1億円以上を集金したことがひとつのきっかけとなり、地元富山との関わり合いを取り戻していく。
「出身地である射水市の新湊地区に内川という港町があって、富山新港から東西に3キロほど続く運河が流れているんです。ノスタルジックな風景が広がっていて、“日本のヴェニス”なんて呼ばれていて、少しずつ注目され始めているんです。僕からしたら、子どもの頃よく遊んで怒られていた漁師町という記憶しかないので、その場所にわざわざ外から人が来ていることが新鮮でした。
僕は18歳で地元を出ているので、富山の各地にあるすばらしい宿や飲食店、夜の楽しみがあることとか全然知らなくて、富山にはこんな場所があったんだ! って僕自身再発見したんです。東京から連れてきた友人たちから、『富山めっちゃいいね。こんなすてきな地元があるの、うらやましいよ』と言ってもらえたことで、えもいわれぬ人生の肯定感があったんです。
そこから、自分は富山出身ということを誇っていいんだ、と肯定できるようになりました。もっと地元と関わっておもしろいことをしたい、それで地元が良くなるなら。それは最高の仕事だな、と」
かつての自分がそうであったように、地域の価値は、それが当たり前の暮らしをしている人だけでは気づけない、と高木さん。
「あえて僕のような人間が、外の目線も持って価値を再編集することで、ブランディングしていけるんです。これが僕なりの地元への恩返しです」
そんな高木さんの座右の銘は、「自己本位」。
「これは夏目漱石が言っている言葉なんですけど、いろいろな人の考えを受け入れるためには、自己というものがちゃんと確立していなきゃいけない、と。逆に言うと、自分が立っていれば多様な価値観というものが受け入れられるということを言っていて。自分はどこに軸足があるのかということが、すごく大事だと思うんです。
僕自身、こんな髪型をしているし、“お前なんやねん”みたいに言われることも結構あります。だからこその自己本位。その結果、人に優しくできる。すごくいい言葉だと思います」
さまざまな経験を経て、ふるさと富山への思いを強くした高木さん。
「生まれて18年間育ててもらった富山が、やっぱり僕のホームです。富山の人だったらみんな当たり前に見ている景色だけど、変わらずにあり続ける立山連峰の景色があり、その山々に囲まれていることがすごく価値があると思うんです。
山が富むと書いて、“富山”。僕は立山連峰に囲まれた景色が大好きで、ここが自分の始まりであり、オリジナルです。オリジン=起源をちゃんと持っているからこそ、東京でも海外でも、どんな場所に行っても戦えるなって感じがするんです」
富山県射水市出身。早稲田大学卒業後、(株)博報堂に入社。2014年独立し、(株)NEWPEACEを創業。未来志向のブランディング方法論「VISIONING®」を提唱し、スタートアップを中心にこれまで数多くのブランドの非連続成長に携わる。21年より、富山県成長戦略会議委員として県成長戦略のビジョン「幸せ人口1000万~ウェルビーイング先進地域、富山~」の策定及びPR発信をリード。22年に同会議ブランディング戦略PTの座長、23年に富山県クリエイティブディレクターに就任し、現在「寿司といえば、富山」を推進中。24年より、射水市内川未来戦略会議の副座長を務める。
Web:I’m Your Home.
credit text:西野入智紗 photo:ただ