地方出身者であるという
アイデンティティに気づいて。
富山の女子高生をリアルに描く
小説家・山内マリコさん | Page 2
series|I’m Your Home. ~挑戦する君へ、先輩たちの言葉~
大阪、京都、東京。
3つの都市を転々として見えてきたこと
富山市の中心地で生まれ育ったという山内さん。小学生の頃からまちに出て、書店が併設されたレンタルビデオ屋へと通ううち、次第にポップカルチャーやサブカルチャーへの興味が芽生えていったのだそう。
「何かに憧れる力が強くて、好きなものの世界に行きたいと考える、夢見がちなところがありました。映画を観て感動したら “映画監督になりたい”、小説を読んで感動したら“小説家になりたい”とすぐに思ってしまう。なにかをつくる側に行きたい、好きなことを仕事にしたいと思っていました。
でも、どうやってなれるものかはさっぱりわからない。高校2年生のとき、担任の先生に“行くなら芸大とか美大じゃない?”と言われて、初めて進路を意識するようになったんです。当時は富山県には芸術系の大学がなかったので、当然のように県外の学校を志望するようになりました。
当時、東京へ行くには特急で越後湯沢まで行って、上越新幹線に乗り換えて、4時間以上かかったんです。一方、関西へは特急サンダーバード1本で行けたので、心理的にはかなり近い。東京はちょっと怖いイメージもあり、関西のほうが性格的にも合うかなぁと思って、大阪の芸術大学に進学しました」
卒業後は大阪から京都へと移住。ライターの仕事につくも迷いが生じてしまう。
「就職氷河期だったのと、芸大生の気質的に、いかに就職せず生きていくかが人生の課題で。京都でライターの仕事をするようになって、最初のうちは文章を書くことを仕事にできたと満足していましたが、やっぱりライターの仕事と作家の仕事って違うんですね。
だんだんフラストレーションが溜まってきて、“自分がやりたいのはこれじゃない、創作のほうなんだ!”と。退路を断ち切るかたちでライターの仕事を辞め、東京に行ったのが25歳のときでした」
夢と希望を抱いて上京されたのかと思いきや「まったく逆です」と、キッパリ否定する山内さん。
「たぶん私より前の時代は、上京ってイケてる人がすることだったんですよね。でも私の学生時代はイケてる人ほど地元に残っていた気がします。遊び友だちもいるし、家もあるし、車さえあればチェーン店中心の消費生活は楽だし、満たされている。となると、わざわざ県外に出る理由がない。
私は地元で輝けなかったから、後ろ髪ひかれることなく、大阪に行けました。大阪でもダメだったから、未練なく京都へ行って、最終的な逃げ道としてついに東京にたどり着いてしまったんです。もし東京でダメだったら、次はニューヨークに行くとか言い出していたでしょうね(笑)。
人間関係やまちの環境、仕事など、トータルで自分がのびのびできる居場所をあちこち探して、20代を過ごしました」
そして上京から約1年半後の2008年に、短編『十六歳はセックスの齢』で第7回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。そして4年後の2012年、連作短編集『ここは退屈迎えに来て』で、念願の小説家デビューを果たした山内さん。
「東京に来て小説家になれて、やっとしっくりきたというか、ようやく自分に及第点を出せたような感覚でした」
また、大阪、京都、東京と移り住んできたことによって富山の見え方も変わってきた。その変化は、彼女の作風と切っても切れないつながりがあるという。